『錦繍』宮本輝

  • 2012.07.18 Wednesday
  • 21:53
めったに本を読み返さないわたしが、珍しく読み返して、やっぱりいい本だなあと思った一冊。ぐいぐいと読ませる力に、あっという間に再読。そういえば、最初に読んだときは、どうしても途中で本を閉じることができず、台所の床に一人座りこんで明け方までかかって読み終え、号泣したっけなあ。

今回もやはり何度か泣けたけれど、泣いた場所が少々ちがっていた気がする。20年ほどたって、はて、読み手のわたしはどう変化したのだろうか。

秋、見事な紅葉をみせる蔵王で、元夫婦であった二人が10年の歳月を隔て思いがけず再会する。
前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。」こうして勝沼亜紀と夫であった有馬靖明との往復書簡という形で物語は進んでいく。

ちょっとだらしないところがありながらも、人間的に魅力のある有馬という男や、建設会社を経営する強大な父のもと経済的になんの心配もなく愛されてのびのび育った、お嬢様の亜紀。それぞれの性格が手紙の文章からみごとに伝わってくる。

大学時代に出会った有馬と亜紀が結婚し、そろそろ子供を持とうかという幸せの絶頂で起こった、有馬と水商売の女、由加子の無理心中事件。由加子は死に、有馬は一命をとりとめるが、詳しいことを問いただせぬまま別れてしまった亜紀は、長い間謎であった有馬と由加子の関係を知りたいと望み、また、嫉妬や恨みといった気持ちをまっすぐ有馬にぶつける。亜紀には再婚した夫、勝沼と、障害を持った子供がいて、有馬も令子という女性に養われている。

それぞれの過去とその心の動きを辿り、別れてからの日々を語り、徐々にたがいの現在へと話がうつり、そしてそれぞれの再出発ともいえるようなラストへと力強く向かっていく。有馬が今、食べさせてもらっている令子という、従順で無口ながら不思議な強さをもった女性が現れてから、大阪という土地柄ゆえのユーモラスさも加わってきて、物語はどんどん生気を帯びる。

物語の鍵としてモーツァルトの音楽が登場する。
生きていることと、死んでいることとは同じことかもしれない」モーツァルトの交響曲を聴いて、亜紀はそう感じる。有馬もその言葉に感応して、自分の過去を語り始める。でも、うーん、そうかなー。生きてることと死んでることは、全然違うよーな気がするんだけど。と思うわたしはまだまだ修行が足りないのかなー。

しかし、その亜紀の感想を聴いた喫茶「モーツァルト」のご主人が語る「宇宙の不思議なからくり」という言葉には頷ける気がする。読んでいるうちに、聴いてみたくなったのだが、なんとなんと、モーツァルトの室内楽やピアノ協奏曲全集やオペラはあるのに、交響曲のCDって持ってなかった。唖然。

それにしても、ほんと手紙を書かなくなった。往復書簡という形式自体とても懐かしい匂いがする。このごろは、ポストの中に、何十枚もの便せんでふくれあがった分厚い封筒なんて、そうそう入っていそうにないなあ。

刻々、様々に変化する「今」が織りなすタペストリーのような人生、それを織り上げるのはほかでもない自分である、と。「何が何でも『今』を懸命に真摯に生きるしかないではありませんか」と言いきる亜紀。亜紀から有馬あての手紙を読んで泣き続け「うち、あんたの奥さんやった人を好きや」と言える令子。女は強い。

蔵王の紅葉に始まり、晩秋の京都の紅葉で閉じられる小説は「錦繍」という文字のイメージそのままに人生の様々な色がぎゅっと凝縮されている。



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