Blue lagoon

Phoebe's music life
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初めての胃カメラ

バリウムのんでの検査で「胃にポリープがあるので、念のため胃カメラを」といわれ、人生初胃カメラとあいなりました。というわけで、GW明け一番の大仕事が胃カメラ検査。

飲み込むときにおえおえとなるのがこわかったので、眠くなる薬の点滴を希望。しかし、どうもわたしの血管は(体に反して)細いらしく、看護士さんがわたしの手のあちこちたたいたりさすったりするものの、血管が浮かびあがらない。ついには赤ちゃん用の点滴針登場。

そのまま内視鏡室へ移動するのだが、車椅子にのせられてびっくりした。ぴんぴんしているのに車いすにのるのは、なんとも面映いものですね。検査室の技師さんは歌丸師匠が眼鏡をかけたようなかたで、こりゃ大ベテランさんだ〜!とすっかりリラックス。のどの奥をしびれさせるまずーーーい薬を口に含み、ベッドに横になるやいなや、プラスチックのじょうごみたいなのを口に装着。薬をいれたのか、点滴してる手に激痛が走り…と思ったら、もう映ってました、画面が。「はい、いま、食道です」。

おお、早くものどは通り過ぎたのか。胃?と思ったらすぐ十二指腸がきて、あれれ、あれはなんか洗濯機の排水ホースのような、ああ、腸の入り口かも。さすが手早い。むむ、ポリープらしきものはないけれど、胃壁にちょっと充血してるところがあるなあ。胃炎かなあ。なんか技師さんがいってるなあ、ピロリ菌?ふむ。2年に一度は胃カメラをのんだほうが…、ふむ。そうか。

意識はちょっともうろうとしていて、記憶があいまいなのだが、実は自分の胃をみながら、妙に感動していたのでした。

今まで51年もの長きにわたり、この胃がさまざまな食べ物を消化してきてくれたんだなあ。計り知れないほど精緻な働きによって、必要な栄養分を分解、吸収し、日々新しく入れ替わっていく体の細胞を作ってきてくれたんだよなあ。いや、神秘としかいいようがない。
黙々と働いてきてくれた胃や腸を、実際にこの目でみて、しみじみと畏敬の念がわいてきた。

なのにわたしときたら、しょっちゅう食べ過ぎるし、しかも人の倍くらい早食ときている。しっかり迷惑かけてきたんだなあ。反省。

検査後、薬がきいてきてぐっすり眠った。なぜかポリープは消えていた。ただ表層性胃腸炎とかで、やっぱりピロリ菌がいるのかも。これからは毎年胃カメラと仲良くしないとだめですな。
よもやま話 | 21:51 | comments(0) | trackbacks(0) | phoebe

カーネーション

朝の連ドラ「カーネーション」が終わってしまった。めっちゃさみしい。ああ、4月から、糸ちゃんの時間やー!とテレビの前に座ることができなくなるのかと思うと、それだけでがっくりと来てしまう。

こんなに連ドラに見はまったのは、ひょっとしたら幼稚園のときの「おはなはん」以来かも(古っ!)。おはなはん見たさに、幼稚園へ毎日遅刻していったおぼろげな記憶が。そのころからはじまっていたのか、遅刻人生……。

生命力あふれる物語。脚本もすばらしいなあと毎回、感心していた。連ドラって、ともすると「おりこうさん」になりがちだと思うけど、今回のは容赦なかったなあw、そこが好き。それに、つねに笑いがあった。ほっしゃん。の演じる北村と、糸ちゃんのやりとりは抱腹絶倒だったし、最高に好きだったのが麻生祐未さん演じる糸ちゃんのお母さん。いやーすばらしかった。一日3回見ても、毎度笑ってしまうくらいの絶品の間と、演技。サラリーマンNEOでの怪演?に、おおおお、この人すごい、と思っていたのだけど、遺憾なくそのセンスを発揮されてましたねえ。それ以外の役者さんたちも、ほんとはまり役で。

「自分が変われば、周囲が変わる」って、主人公のモデルになった小篠綾子さんの手帳に書かれていた言葉がテレビで紹介されていた。人生を泥まみれになりながらまさに一生懸命、前だけ向いて歩んできた人が、経験の中から得た言葉というのは、ほんとに力がある。その力が脚本の台詞のひとつひとつにこもっていたのかもしれない。だんじり人生、万歳。
90過ぎても、うなぎー遅い〜、とかヘレカツ食べたい〜♫とか言っていたいものであります。人生食欲と意欲と笑いを失ったらあかんなあ。あ、それからちょっとだけ色気もねw。

最終回は、テーマソングが最後に来るという構成でこれがまた、良かった。あのイントロが流れた瞬間、号泣してしまったやないですか。椎名林檎さんの声って、どことなく尾野真千子さんの声と似てるような気がする。たいてい連ドラのテーマソングって最後には飽きるものだけど、この歌は飽きなかった。名曲であります。「何も要らない/私がいまほんとうに欲しいものなど/ひとつだけ/ただひとつだけ」という歌詞もよいですなあ。なんてわかったように言ってるけど、で、さて、そのひとつだけってなんやろか?

ともあれ、糸ちゃん、ほんまにおおきに!


よもやま話 | 22:30 | comments(2) | trackbacks(0) | phoebe

残響

佐世保に転勤になったとき、音楽から遠くなるようなさみしさがあったのだが、その中で嬉しかったのが、アルカスSASEBOというすばらしいホールの存在。車を走らせれば10分かからず、歩いても20分ほどの場所に、こんなにいいホールがあるのは、ほんとに幸せだ。

勿論コンサートの数自体は、都会に比べると少ないけれど、まあ、もし、いっぱいあっても経済的にも時間的にも行けるコンサートは限られるから、年に数回お楽しみがあるくらいがちょうどいい。良いのか悪いのかわからないが、暮らし方のペースがすっかりそういうふうになってきた。6月は新日本フィルとダニエル・ハーディング、秋には「カルメン」がある。

この前、寝る前にBSのエル・ムンドを見てたら、豊田泰久さんという音響設計家の方がゲストで来られていた。おおお、この人がサントリーホールとかkitaraとかを設計したかたなのかあ、と、一生懸命お話を聞いていた。その中で残響が何秒くらいが理想?みたいな質問があったが、一概に数字で表せるものではないとのお答えだった(と記憶している)。

それで思い出したことがある。以前、初めて札幌のkitaraでコンサートを聴いて、ほんとに音響がすごくよくって感激して戻ってきたとき、ある方にその話をしたら「そこのホール、残響は何秒ですか」って、即、つっこまれて「へ?」と答えに窮した、気恥ずかしい思い出。

ホールの真ん中で、ピアノが一音”ぽーん”と鳴らすと、水面に水滴が落ちてさあ〜っとその波紋が広がっていくようなほんとにすてきなホールだなあと思っていたのだが、うーん、残響何秒ってちゃんと言えなきゃいけないのか、と思った(やっぱり数値というのは説得力がある)。と同時に、そんなもん、数字だけでわかるんかいな、という反発心が芽生えたのもたしかで(笑。

なので、豊田さんのお答えに、ひとり「そうなんだあ〜」と心の中でガッツポーズ(笑。とはいえ、もちろん細かい数値の計算を数限りなくこなし、そこに経験を加味してほんとに微妙なところをやっていくお仕事であろうと素人なりに想像する。

いろんな要素がまじりあって音がまろやかになったりふくよかになったり、サントリーホールを設計しているとき、サントリーの方が「ウィスキーのブレンドと同じですね」と言われたとか。なるほどなあ(って、下戸なので味わかんないんですけど…)。

五嶋みどりさんが豊田さんにインタビューしているこちらの記事も面白く読ませてもらった。ほんとに音の世界って深いなあ。よい箱がよいオーケストラを育てる。なかなかその中身のオーケストラがなくて箱だけっていうところが残念だけれど。

ただ、知人からオーケストラっていう形態そのものがいつまでもつか、ということを言われ、確かにそうだなあと思ったりもするこのごろ。これだけの大きさのものを支えていくだけの力がこれから持続できるだろうか。地方自治体であれ企業であれ個人であれ。

たぶんコンサートへ出かけていく、もしくは行ける客層の年齢は圧倒的に高いのではないかと想像する。SS席とかS席を買って興行としてのコンサートを支えてくれるのは、バブルの頃にしっかり稼ぎ、多額の退職金と年金をもらっていて、時間もたっぷりある層かも。その方達の次は、さて、どうなるんだろう。

若い人たちの話を聞いていると、生活はほんとに大変だ。住宅ローンに追われ、仕事に追われ、子育てに追われ。そういう状況の人が、5000円なりするチケットを買って夫婦なり友人なりで、なじみの無いクラシックのコンサートに出かけようと思ってくれるだろうか。出かけてほしいなあとは思うけれど、いかんせん、わたしもチケット代がきついなあって思うときが、正直いうと、ある(笑。

いつだったか、30才くらいの人に「これからの世代は犠牲の世代ですよ」と言われた言葉が心に突き刺さったことがある。経済的にも、環境的にも、様々なツケを残してしまった今の社会。長いスタンスで見て、残さなきゃいけない大切なものがたくさんあると思うけれど、現実を乗り越えてそれらを実現することの困難さに、いささかめまいがする。オーケストラの生音を、室内楽を味わう、あの歓び。やっぱり失いたくないよなあ。

あれれ、ホールの話がこんな暗い話に。いかん。地方に住むおばさんの独り言が暴走してしまいました。どうかいい音楽が、クラシックが、それを味わえる心の豊かさがずっと生き続けられますよう。個人として何ができるのか、さっぱりわからないけど。

そうそう、今夜のエル・ムンドには、小曽根真さんが出演されるんだった。見よう。


よもやま話 | 22:12 | comments(6) | trackbacks(0) | phoebe

絽の着物

若い時分から、必要に迫られて着物を着なくてはいけない場面が多かったのだが、とにかく不器用で……(汗。へんてこな仕上がりのせいで大恥かいたこともあって、完全なトラウマだった。しかし、もう着る必要ななくなったこのごろになって、このトラウマと正面きって戦うべく一念発起。

ちょうど、我流でよければ教えてあげるよ、と言ってくれる人がいて、習い始めて2ヶ月。毎回、汗だくだ。だいぶん早く着れるようになったが、やっぱり衿がきまらない。こればかりは着物が体になじむように、回数をこなすのみですよ、と励まされながら、がんばっている。

夏が近づいて、あ、そういえばずいぶん前にいただいた絽の着物があったなあと思って、取り出してみる。とっても濃い紫に地模様が散らしてあって、渋いことこの上ない。そろそろこれを着れる年齢になったかしらんと昨夜、汗だくになりながら、ひとり稽古した。

これをくださったのはものすごく笑顔のかわいいおばあちゃまで、いつもほんのりピンク色のほっぺたを輝かせながらにっこり笑うその顔のかわいさといったら赤ん坊のように無垢だった。いまでも忘れられない。学校の先生だったころ、何もわからず、王道楽土を築くという夢を語って子どもたちを満州へ送って、その後、辛い思いをさせたことをずっとずっと悔いていて、今でもつらいんだと、よく話してくれた。

このごろ毎日朝ドラの「おひさま」を見てるからか、そんなことも思い出しながら、ようやく薄紫の帯をととのえ、さあ、あとは帯締め、と手をのばしたとき、びりり、いや〜な音が響く。ああああ〜、ほつれちゃったー。年代物だから、わたしの圧力?に耐えきれなかったとみえる。とほほ。

その方は、一生独身で通し、姪ごさんと一緒に暮らしておられたが、わたしが広島を離れるころには施設に入られていて、お会いする機会もほとんどなかった。もうちょっと早くトラウマと戦って、ちゃんと自力でこの着物を着てお礼にうかがうんだったと、わたしも悔いている。


よもやま話 | 21:15 | comments(4) | trackbacks(0) | phoebe