Blue lagoon

Phoebe's music life
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阿修羅展

 この前の休日、帰省していた息子と、大宰府の九州国立博物館で開催中の『国宝 阿修羅展』を見学。暑くて気乗りしなかったのだけど、思い切って行ってみた。

この記事をみて、こんなたくさんの人に取り囲まれて、阿修羅像をゆっくり見れるのか?と思ったのだが、これがなかなかよかった。阿修羅人気すごいなぁ。実際問題、博物館の駐車場は崖くずれで入れず、汗かきかき遠回りして長〜い階段をのぼって入り口にたどりついたら、今度は人がいっぱいで展示物までたどりつけず、またひと汗。でも、阿修羅像のあたりから空間が広くなっていて、けっこうゆっくり眺めることができた。

ガラスなどの遮蔽物がなく、会場の高い位置にあって、全方向からゆっくり眺められる。暗い空間に浮かびあがるような展示の仕方はすごくよかった。会場の空間や照明のデザインをした池田英雄さんのインタビューが載ってて、阿修羅を一番よくみせる光のあてかたを考えたとのこと。



正面と横にある二つの顔は、時系列で阿修羅の心境を反映しているそうで、むかって左は、下唇を噛んだすこし険しい顔つき、むかって右はとまどいの顔、そして正面の顔へとつながる。ライトをあてる角度がいいのか、ことにむかって右のとまどう表情が実に美しく見えた。下唇を噛んでいる表情もいい。落ち着いてしまった正面の顔よりも、ちょっととまどっているくらいのほうが味わいがあると感じる。

約30年前、奈良で初めて阿修羅像を見たときは、ひっそりしたところにぽつんと置かれた教科書でおなじみの仏像が、なんとも華奢なのにびっくりしたっけ。

興福寺の歴史もよくわかる。脱活乾漆造の技法で作られた阿修羅を含む八部衆、十大弟子像、どれもその繊細な表情がすばらしい。時代を下っての運慶らによる四天王像も迫力満点。堪能いたしました。


あ、そうそう阿修羅が登場する萩尾望都のマンガ『百億の昼と千億の夜』というのがあったなぁ(ここでは阿修羅は少女として描かれていたよね?)。壮大なスケールだったけど、内容をすっかり忘れている(汗。

国立博物館の常設展も、あわせて見ることができる。昨年のBBCを聴く前に寄ったときとは展示物ががらっと変わっていて、こちらも楽しめた。それにしても、大宰府を目指すと、何かしら不都合が起きる。今回は高速で事故車の破片をみごとにとらえて、タイヤがパンク。怖かったなぁ。菅原道真さんに嫌われているんだろうか。
美術 | 21:37 | comments(7) | trackbacks(0) | phoebe

レオナール・フジタ展 

すっかり遅くなってしまいましたが、4月 レオナール・フジタ展、見てきました。エコール・ド・パリを彩った日本人画家として、作品のいくつかに接したことはあったものの、こんなにまとまった作品群とその生涯について触れたのは初めてのこと。今回は行方がわからなくなっていた大作(6年の歳月をかけて修復された)の展示や、晩年をすごした家で実際に使われていた家財道具、アトリエの再現、そして彼が人生の最後に情熱を傾けた聖堂の作品など、とても見ごたえのある展覧会でした。

庭は夏の日ざかり』この記事を読ませてもらって、これは見たいなぁと思っていましたが、すっかり忘れていて、ぎりぎりセーフでの鑑賞となりました。間に合ってよかった。実物を見たあとで、あらためてsonnenfleckさんの詳細な記事を読ませてもらって、なるほど〜と感じいっておりました。

ひろしま美術館に常設展示されている絵も何点かあり、懐かしかったりもして。そういえば、初めてひろしま美術館で「十字架降下」をみたときに、宗教画も描く人なの?とびっくりしたことを思い出しました。

正直に言うと、陶器のような乳白色の肌の描き方や独特のタッチは、手ばなしで好き!というほどではないのですが、実物をみて、そのなんともいえない不思議な質感を感じることができたのは、貴重な経験でした。独特の内側から光るようなひんやりした肌はほかのだれとも違う世界ですね。

そして今回の目玉の初公開の大作は、まず大きさと人物の迫力に圧倒されてしまいました。あと、馬や猫を描いている作品の筆致も、興味深いものがありました。

晩年暮らした家は、フジタ手作りの道具や食器でいっぱいだったそう。実際の展示物をみた女性の客たちからは、「わ〜かわいい、こんなの使いたい」との声。猫や天使が描かれたお皿や、如雨露やミルク缶まで、彼の色で染められていて、そういえば自画像に、ボタンつけをしているフジタの絵があったなぁと思いかえして、なんだか腑に落ちるものがありました。当時のまま再現されていたアトリエの道具たちもとても興味深いものでした。

5人!奥さんがいたけど、子供はなかったそうです。晩年、子供たちをたくさん描いてますが、どの子も一筋縄ではいかなさそうないたずらっぽい表情(笑。このころのタッチは、女性を描いていたころとはかなり変わっています。

sonnnefleckさんが書いておられるように、戦争中に描かれた絵については、今回の展覧会では全然触れられていませんので、文献から想像するのみですが、その家といい、子供の絵といい、人生の最後に情熱を傾けた聖堂といい、人生でのさまざまな紆余曲折をへて最後は俗世ではないところ、楽園みたいなものを夢にみていたのかなぁと。

元来、宗教画と呼ばれるものにはあまり興味のない人間なのですが、フランスに帰化し洗礼を受け、尊敬してやまないダ・ビンチにならって、レオナール・フジタとなった彼が描いたのは、信仰と彼の中にある美がむすびついた世界なのでしょうか。「この足場の上で私は自分の80年の罪を贖うよ。・・・(中略)・・・だが、人生は美しいんだ」という彼の言葉を後に図録の文章にみつけて、なるほどなぁと。その制作意欲は、画面からもじゅうぶん伝わってきました。ミレイの時も思ったのですが、ひとりの作家に絞った展覧会は、みごたえがありますね。

ほんとまだよく消化できてなくて、うわっつらの感想ですみません〜。福岡は4月22日までで終了してしまってて(^^ゞ、このあと仙台に巡回だそうです。
美術 | 09:48 | comments(2) | trackbacks(0) | phoebe

ジョン・エヴァレット・ミレイ展

もう一月近く前ですが、福岡までの往復券があったので、ちょっと足をのばして北九州市美術館へ「ミレイ展」を見にいきました。いざいってみると遠かったぁ。バスで福岡まで2時間、そこから北九州いきの高速バスで1時間半、さらに美術館のバスで3分。街をみおろす小高い丘の森の中に美術館はありました。

ミレイの『オフィーリア』は、なんだか一度目にすると忘れられない絵ですよね。その絵のホンモノが見れるならばと遠くまで出かけたわけです。結果、ほんとに行ってよかったです。

ラファエル前派の一人であったジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-96)。人気もあり、当時もっとも知られた英国人画家でありながら、このような全画業を網羅した回顧展は1898年、ロイヤル・アカデミーで催されて以来とのこと。『オフィーリア』は彼の初期(22歳頃)の作品です。

オフィーリア

「そうして、オフィーリアはきれいな花環をつくり、その花の冠を、しだれた枝にかけようとして、よじのぼった折も折、意地わるく枝はぽきりと折れ、花環もろとも流れのうえに。すそがひろがり、まるで人魚のように川面をただよいながら、祈りの歌を口ずさんでいたという、死の迫るのも知らぬげに、水に生い水になずんだ生物さながら。ああ、それもつかの間、ふくらんだすそはたちまち水を吸い、美しい歌声をもぎとるように、あの憐れな牲を、川底の泥のなかにひきずりこんでしまって」(ウィリアム・シェイクスピアの≪ハムレット≫第4幕7章の一場面)

狂ったオフィーリアの表情をみごとに表現したモデルは、同じくラファエル前派のロセッティの妻になる、エリザベス・シダルです。後に死産や嫉妬の感情から精神の安定を欠き、薬を飲んで若くして亡くなった彼女が画布にだぶります。(ロセッティの代表作『ベアタ・ベアトリクス』のモデルも彼女)。オフィーリアを見ていて、同じく狂った女性を描いた上村松園の『花がたみ』を思いだしました。花籠をさげ、舞い散る紅葉のなかにたっている照日前。

オフィーリアもすばらしいのですが、ひどく感動したのは背景に描かれている植物の素晴らしさ。当時、植物学の先生が美術館へ生徒を連れていって、この絵の前で授業をしたというのも頷けます。ミレイはこの作品のためにサリー州のキングストン・アポン・テムズ近郊に滞在、ホッグスミル川の川岸を写生場所に選び、1500時間に渡ってスケッチを続けたのだそうです。植物の輝かしい色(特殊な絵の具の塗り方をしたために、制作速度は極端に遅かったらしい)と精密な描写は、息をのむほどで、写真では味わえないその輝く色を絵の前で呆けたように味わってきました。3度も引き返して(笑。

10歳足らずのときに、ミレイが描いて賞をもらったというデッサンが最初に展示してありました。これがものすごい。最初から驚きの連続。ほんとに天才だったんですね。なんと11歳でロイヤル・アカデミー・スクールズへの入学を許されています。彼が二十歳の頃描いた『両親の家のキリスト(大工の仕事場)』は、聖なるものを理想化せず宗教画でありながら実際的すぎると大変な悪評を浴びた作品。大工のヨセフの腕や、しもやけになった老婆の手など、リアルすぎて怖いほどでした。それと、ここにすでに彼の特徴が出ていると思ったのが、少年キリストのまなざし。独特の憂いを帯びて神秘的。

後に肖像画家として、また自分の子供たちを多く描いて巨万の富を得るミレイですが、その絵においても登場人物の性格や、一瞬の心理や、背景にある物語を見事に描きとっています。

人物画も多彩で、子どもたちを描いたファンシーピクチャーのかわいらしさがあるかと思えば、晩年の『聖ステパノ』(撲殺された若い聖ステパノの亡骸を描いている)の表情をじっとみつめていると、今にもうめき声が聴こえてそのまぶたが動きそうな気がして、とても怖くなって早々に絵の前を立ち去ってしまいました。怖かったけれどすごくひきつけられたのも事実。

人物画の多いミレイですが、年齢を重ねてからは妻エフィーの生まれ故郷、スコットランドの風景を好んで描いています。ことに「露にぬれたハリエニシダ」の詩的な風景の深さは彼のたどり着いた心象風景のように感じました。

ハリエニシダ

一人の画家の変遷をじっくり味わえたよい展覧会でした。ただ、長時間のバス旅で発生した腰痛に今もまだ苦しんでますが(^^;)。

⇒ミレイ展

美術 | 22:29 | comments(2) | trackbacks(0) | phoebe

雨の神戸でムンクを

先だってのお休みに神戸でムンク展みてまいりました。

「絶望」とか「不安」とか「吸血鬼」などの絵の数々、テレビの番組で予習?しておりましたので、それは覚悟していったつもりだったのですが、雨のせいか前日の睡眠不足がたたったのか、会場に着いて前半はすさまじいその負のエネルギーにひきこまれて、押しつぶされそうな気持ちになり、それこそ、叫びたいような、逃げ帰りたいような気分になりました。それぐらい作品に力があるのですね。あまっちょろいものではありませんでした……。
不安

そのなかでも、生命のフリーズの中のいくつかと「マドンナ」そして「星月夜機廖崟/夏の夜」といった作品に心惹かれました。

最後のほう子供部屋のために描かれたリンデ・フリーズや、チョコレート工場の壁面を飾っている絵の下絵など、すとんと抜けたように明るい色調になっていきます。心の闇を通り抜けた人だけが描ける色なのかなぁと思いながら。まさに北国の人が待ち焦がれる春や夏がきたような気持ちってこんな感じかもしれません。 こちらも救われたような気持ちになりました。

病める子供
15歳で結核でなくなったお姉さんの死の場面を描いた「病める子供」、ムンクは同じモチーフで5回かいているそうで、今回の展示のはその最後の作品。病床のお姉さんの横顔は崇高な光りに満ちていて、心うたれました。これを描いてやっとムンクも納得が行ったのかなぁ、と。

オスロ大学講堂にある壁画の下絵もいくつかありました。「太陽」はなかでも、すごいオーラを放っていて、本物をいつか見てみたいなぁ、と強く思ったのでした。

太陽

とても言葉で表せないけれど、ほんとに観に行ってよかった。

平日なので、一般のお客さんはそれほどでもなかったのですが、小学生が授業の一環としてきていて(笑。彼らがあの絵をみてどんな感想を抱いたのか、かたっぱしからきいてみたい衝動にかられちゃったのでした。

で、その旅先でヒース・レジャーの訃報をみて目を疑ってしまいました。「ロック・ユー」「ブロークバック・マウンテン」「カサノヴァ」とそれぞれ違う感覚の役柄をこなしていたあの新鮮でシャイな感じが大好きだったのになぁ。すごいショック 。

四半世紀ぶりくらいの神戸の町。忘れられない一日になりました。

→ムンクについて

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美術 | 20:51 | comments(4) | trackbacks(0) | phoebe